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2008.06.16-06.27

 

PLACE M20周年企画展

鷲尾倫夫

原色のソナタ

鷲尾倫夫「原色のソナタ」

1982年5月のある日のことだった。私は神戸三宮の繁華街を歩いていた。その時、ある立て看板が眼に留まった。それは、韓国の民族舞踏ショーの上演を告げていた。私は店に入った。そこでは、地味な服を着た女性が外に向かって叫ぶかのような力強い声で演歌を唄っていた。また、太鼓の乾いた響きに、眼を閉じた。そこには大陸の風景があった。街があり、人々の顔があった。静かな感動があり、興奮が私を襲った。

1983年2月、私は、夕暮れの下関港に浮かぶ関釜フェリーの船上にいた。大時化(しけ)の玄界灘を渡った。厳冬の釜山港、肌を刺す寒気に身体は硬直した。アイスバーンの道には練炭の燃え滓(かす)が撒かれており、冷たい風が掃くように移動していく。ひょっこり顔をのぞかせた氷の表面に、太陽の光が交差し、キラキラ輝く、と同時に鼻をつく練炭の匂いが、濃淡を交えながら通り過ぎていく。その匂いが鮮明に残っていた。子供の頃、囲んだ炬燵(コタツ)、火鉢の火、それは、私の内に、その時代そのものを見事に甦らせてくれた。すると、この地は韓国でもあり、日本でもあった。眼は、昔の光景を探すことに熱中しはじめた。まるで宝探しだ。人が充満した街、人の波に押し流されるように歩く。

1987年6月、ソウルの街中に催涙弾の匂いが立ちこめていた。ヘルメットも被らず素手で警官に立ち向かう若者たち。その若者たちに火炎ビン用の<真露>の空ビンを手渡す商店主たち。私は体中に催涙弾の粉を浴びながら、明洞の路地を逃げ廻っていた。この日を境に、韓国は大きく変貌しはじめた。大統領選、そしてオリンピックと、それは大きな転換期であった。
人々の圧倒的なバイタリティーに、体験したことのない衝撃を受けたことから始まった私の韓国の旅は40数回を数える。ソウルをはじめとして各地の都市、街、村、路地裏を歩いた。確かにビルの群れや、その街路は輝いている。だが、そこからは、強烈なイメージとなって私の内部に入り込み、拡がっていくものがない。むしろ、そこから、私は押し出され、流れていくうちに路地に迷い込む。そこには私の心を動かす、日常的な光景の中に存在する生命がある。そこの魅せられた。
ソウルの駅から地下鉄で20分程走った駅前の路地に入ると、横一列に1キロは続く政府公認の娼婦街がある。徴兵制を敷いている理由と聞いた。人形のような着飾った彼女たちは行儀よく片膝を立て、男たちに選ばれるのを待つ、その顔、顔は言葉では表現できない愛おしさを感じると同時に、カメラを持つ私自身の後ろめたさに、心の動揺はあった。が、引き下がることはできなかった。あくまでも私の感情に素直に従って、その人たちの前に立ち、カメラを向ける。その距離でしかものが見えない瞬間、その場所でしかものを感じることが出来ない瞬間の集積が、ここに差し出す写真である。

2008年4月30 鷲尾倫夫

鷲尾倫夫 わしお・みちお

1941年 東京生まれ
1960年 愛知県国立高浜海員学校終了
1960年 新栄船舶入社
1972年 新栄船舶退社
1973年 日本写真学園卒業
1981年 「FOCUS」専属カメラマンとして20年間在籍
1983年 日本写真学園主任講師
1991年 伊奈信男特別賞受賞
1996年 編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞受賞

写真集

1990年 「原色の町」アイピーシー
2000年 「写真」ワイズ出版
2007年 「THE SNAP SHOT」ワイズ出版

ミニギャラリー

同上

 

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