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2016.2.8-2.14

Traveling 4

旅しないカメラ

Traveling 4  [旅しないカメラ]
Traveling 4  [旅しないカメラ]
Traveling 4  [旅しないカメラ]
Traveling 4  [旅しないカメラ]
Traveling 4  [旅しないカメラ]
Traveling 4  [旅しないカメラ]
Traveling 4  [旅しないカメラ]

人生が旅のようなものならば、日々、旅先のようにカメラを手に写真を撮りたい。
いや、「旅」と限りなく似たこの「人生」こそ、今すぐ撮らなければならない。
旅は、日常から一瞬浮遊し、もう一つの日常へと滑り込んでゆく。
この使い古された「日常」という言葉に、もし幾つもの異なる次元/時空間があるなら、
写真はそこを軽々と飛び越えてゆくことだろう。

遠くの見知らぬ町、あるいは見慣れた近所を散歩して歩く。
手に収まる小さなカメラさえあれば、
その旅先のできごともありふれた日常であり、
それがそのままその人の人生となるだろう。

「Traveling」・・・宇多田ヒカルがひとり歌っている。
 旅は、春の夜の夢のごとし
 遠くならどこへでも行きたい
 目的はまだだよ、すべては気分しだい
 君はどこにいるの?
 タクシーは走る・・・もっと揺らせ、もっと飛ばせ、止まるのが怖い

地上のどこを旅しても、どう歩いても、何だか淋しい。
行きたくて行ったのに、そこが何だか切ないのは、なぜだろう。
何のために生き、誰のために写真を撮っているのだろう。
そして、その写真は、いったい誰のモノだろうか。

その謎を解けるのは、シャッターを押す「私」ではなく、
その手の中のカメラかもしれない。
写真は「あなた」だけのモノじゃないのよ! と、カメラは言っている。
でも「私」には、私だけの主観がある。
写真は主観だ。
主観以外の何ものでもないんだ。
決まってんじゃん。と、ウィノグラウンドが吐き捨てるように言う。
彼は、インターネット以前では世界で誰よりも多くのシャッターを切った写真家だ。
死んだ時、現像しきれないフィルムが数百本、引き出しに入っていた。
いつも、現像が間に合わないと言いながら、
汗ばんだ指先でこの世界をスキャンしつづけていた。

もはや、写真は誰のモノでもなく、
ただ、人類みんなの記憶の中に埋もれているのだ。

 ギャラリー<Place M>瀬戸正人

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