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2018.6.4-6.10

Traveling 6

旅しないカメラ

Traveling 6  [旅しないカメラ]


人生が旅のようなものならば、日々、旅先のようにカメラを手に写真を撮りたい。いや、「旅」と限りなく似たこの「人生」こそ、今すぐ撮らなければならない。旅は、日常から一瞬浮遊し、もう一つの日常へと滑り込んでゆく。
この使い古された「日常」という言葉に、
もし幾つもの異なる次元/時空間があるなら、
写真はそこを軽々と飛び越えてゆくことだろう。

遠くの見知らぬ町、あるいは見慣れた近所を散歩して歩く。手に収まる小さなカメラさえあれば、
その旅先のできごともありふれた日常であり、それがそのままその人の人生となるだろう。

「Traveling」......宇多田ヒカルがひとり歌っている。
旅は、春の夜の夢のごとし
遠くならどこへでも行きたい
目的はまだだよ、すべては気分しだい
君はどこにいるの?
タクシーは走る......もっと揺らせ、もっと飛ばせ、止まるのが怖い

地上のどこを旅しても、どう歩いても、何だか淋しい。
行きたくて行ったのに、そこが何だか切ないのは、なぜだろう。
何のために生き、誰のために写真を撮っているのだろう。
そして、その写真は、いったい誰のモノだろうか。

その謎を解けるのは、シャッターを押す「私」ではなく、その手の中のカメラかもしれない。
写真は「あなた」だけのモノじゃないのよ!と、カメラは言っている。でも「私」には、私だけの主観がある。
写真は主観だ。
主観以外の何ものでもないんだ。決まってんじゃん。と、ウィノグラウンドが吐き捨てるように言う。
彼は、インターネット以前では世界で誰よりも
多くのシャッターを切った写真家だ。
死んだ時、現像しきれないフィルムが数百本、引き出しに入っていた。いつも、現像が間に合わないと言いながら、
汗ばんだ指先でこの世界をスキャンしつづけていた。もはや、写真は誰のモノでもなく、ただ、人類みんなの記憶の中に埋もれているのだ。

ギャラリー PlaceM 瀬戸正人

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